△浜松市初生町100 「まなびの広場」小中学生の勉強、将棋と大人も含めユーモアを教えます。一時間1,000円。youtube、https://www.youtube.com/channel/UCR7yI7iJRJ6rNBWI9wCeHQg

古橋広之進 名言

古橋広之進 1928年9月16日 - 2009年8月2日

つらい思い出だけが残っているが、なかでもいちばん苦しかったのは、やはり食糧事情であった。昼の弁当は、ニギリメシ一個と炒った大豆。空腹をかかえて宿舎にたどり着けば、待っているものは豆カスとグリーンピース。たまにサツマイモでもあれば、その皮はおろか尻っぽの先まですべて胃袋に直行してしまう。ひどかったのは食事だけではなかった。宿舎には、風呂もなければ蚊帳もない。毎日、井戸水を汲んで体を洗った。床につくと、こんどは蚊の集中攻撃である。しかし、どんなにかゆくてもそれは寝つくまでのほんのわずかな時間で、疲れ切っているためにすぐに深いねむりに落ちていった。

父親「お母さんは、お前に古橋家の将来のすべてを託していた。学校へもどって水泳を続けることが、お母さんへの唯一の供養になるだろう。満足な仕送りもできないだろうが、ともかく学校へもどって水泳を続けろ」

私たちは腹が痛くても風邪をひいても泳いだし、徹底的に自分の心身を痛めつけそこから何かをつかもうと努力した。

私は水泳を通してこんなことを学んだ。それは、人が徹底して一つのことに打ち込めばある程度のところまで到達することができ、時にはそれ以上のレベルにまで達することも可能である。もしその成果が希望どおりに達成されなかったとしても、自分はやるだけやったんだと言えるだけの、つまり自分自身に納得のいく努力をすればそれで悔いることはないということである。自らの力で自らの運命に挑戦する。それが大切だということなのである。

私は中学時代、工場で左手中指を第一関節をのこして切断するハンディキャップを負った。そして、戦局は日に日に激しさを加え、水泳選手にとって最も伸びる大切な時期を学徒動員にとられ空腹をがまんして働いた。戦後、水泳部に入ると間もなく母が死に、生活の負担が重くのしかかった。これは、長男で妹や弟が多かった少年時代の私に、より一層の重荷となったのである。だが、こうしたマイナス面をもつと、人間は強くなる。それが逆にはげみになる。私の場合、これだけのハンディキャップがあるのだから人一倍考えて努力しなければならないと、心に言い聞かせて泳ぎ続けた。その人一倍の努力が私の世界記録を生み今日をあらしめたのだと思っている。



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