叡王戦、金井恒太七段、高見泰地六段おめでとう
金井少年に会ったのは御徒町将棋センターだった。金井少年が後一回勝つと研修会から奨励会に上がれるという時、「でも、飛車落ちと角落ちなんですよ」私は「それを勝った人がプロになる」と伝えた。「そうですね」明るい返事が返ってきた。これは、堀口一史座〈当時四段〉先生から「研修会から奨励会に入った人はプロになっている」という発言がベースになっていた。2011年震災の年に支部対抗戦東日本大会で金井五段(当時)に再会した時、このことを覚えているのかたずねたら「覚えていますとも」という返事が返ってきた。私の人生の中でも数少ない名言の一つだ。
この時、明るいハゲを演じてハゲを励ましている佐藤紳哉先生もいらっしゃった。「私、ユーモアを研究しています」佐藤「何パータンあるんですか」「百二十くらいです」佐藤「では、一つネタをお願いいたします」「では、今日電車の中で考えたやつ、二人でやります。『日本の食事で人気のあるやつ何だ?』 『ヒント』『「う」で始まって「ん」で終わる』『ウラン』『うどんだよ、お前は原子炉か』 このネタを打ち合わせなしで二人は即興で演じた。
高見少年は親せきの子でうちに遊びに来た。庭で私の手を引いて歩いた。C先生に飛車を落としてもらって勝ったというので角落ちでやると私が勝った。飛車落ちでやっても私が勝った。この頃はまだ、壁になることができた。高見少年には将棋などの名言を渡した。同じものの一部分を進学校の高校生(私の後輩)に渡すと「これは難しいですね」高見少年は小学校二年生から『将棋世界』を読んでいたとは言え、高校生が難しいと感じるものを小学生に渡していたのであった。将棋の本も二冊贈った。大山康晴十五世名人の『勝負のこころ』と丸山先生の『ライバルを倒す一手』だ。センスのいい本だ。準決勝で先生に勝てて恩を返す形となった。高見少年の家に行った時、父親がNHKの自然番組を見ながら「この植物は○○」「この鳥は○○」と解説していた。こうした教養に満ちた家庭の雰囲気から有能感に満たされた高見少年が生まれたのだ。プロになってからの活躍は石田門下などの協力があってのものだと考えている。
二人は叡王戦の舞台でタイトルを賭けて戦うこととなった。この世の中で、二人にめぐり合えて同じ時間を過ごせたことに感謝します。二人に勝ちを目指して価値ある将棋を後世に残すことを期待しています。
将棋思考法
「将棋思考法配布資料
」http://murakitatsuo1969.hamazo.tv/e7051215.html
将棋普及・強くなるために http://murakitatsuo1969.hamazo.tv/e2823672.html
将棋動画
https://www.youtube.com/playlist?list=PLH9A-9vP2YawmWgz6SYnnL3cS7U5fY3nB