◎私は、日本語ボランティアでR小学校に指導に行っている。私のかかわっているM君が毎日けんかをしていた。彼は必ず忘れ物をして、他の子から黙っていろいろなものを借りていった。それでいつもけんかになった。大きなけんかがあった時に彼の親を呼んだが、「相手の子の親が来なければ会わない」と彼に伝えて私たちは会えなかった。国際教室のH先生も仲介をしなかった。H先生はM君を厳しくしかる。その場を治めるのはよいが、ストレスがたまるので問題を残す。H先生を組織で支援してあげられたら、この問題はここまで大きくならなかっただろう。
◎Rの会のボランティアの時間に事件や事故があったら学校は「ボランティアの責任」と言うだろう。「もしも事件が起きたら」というよりも「今日もけんかをしたが事件にはならなかった」という情況が続いた。私はHICEという浜松の外国人支援の組織に相談に行った。そこで「教育委員会の外国人を指導する課に行ってください」と言われ従った。教育委員会に行くことは考えていなかったが、これは客観的に見て教育委員会に報告する内容だと悟った。HICEはRの会を支援している団体だ。HICEの助言に従わずに事件が起きたらRの会は信頼を失うだろう。
◎教育委員会に行って経緯を話すと「よく報告してくれました」と言われた。学校はこの対応に驚いた。担任の先生には「物を借りる時に『貸して下さい』と言うのは親の責任でしょ?」という話をした。何カ月かすると、M君は忘れ物が減り、忘れ物をした時に「貸して下さい」と言えるようになった。すると、けんかになることはほとんどなくなった。翌年、H先生は移動になり、K先生になった。すると、問題は激減した。
◎NHKの方が、「Rの会を取材したい」と言ってきた。しかし、校長先生は拒絶した。Rの会がテレビで紹介されれば、資金を集めるのも楽になれたのだけれども、根に持たれたようだ。もしもテレビに出られたら彼は自信を持てたかもしれない。だが、彼は授業中に歌を歌い、隣のクラスの子が「静かにしてほしい」と訴えるようになった。
◎今、教頭は私について「あの人はいつ辞めるのですか?」と言っている。学校はなぜ教育委員会に報告をしたことを恨んでいるのかを考えてみた。仕事が増えたこと、叱責されることなどだろう。私が望んでいることは報告書や会議ではない。責任問題でもない。ただ、問題の解決だけだ。
◎問題は設定することで解決していく。問題を報告することは地位を脅かすのではなく、誉められるようにすべきだ。ある地域では地方版知恵袋があり、子供の恋の悩みをお年寄りが答えたりしている。問題が複雑になると学校だけでは解決できなくなる。NPOなどと連携をしてチームを組んで対応しなければならない。語学力、カウンセリング、犯罪者の矯正、いろいろな知恵を総合的に運用できればトラブルは解決できる。学校は学校、ボランティアのはボランティアだと効率が悪い。学校は外部に助けを求めてもよい。
◎学校は責任の予防線を張るための書類作りもする。雑務が増えると本当に教育のための時間がなくなってしまう。こうしたことが普通の親をモンスターペアレンツに変えてしまう。また、学校には無駄な規則も多い。「ボランティアの人は学校の来賓下駄箱のいい場所は使えません。一番は教育委員会の偉い人が使います」こう取りきめるとみんなに同じことを言わなければならない。こういう無駄な規則が仕事を増やすのだ。
◎私が高校に将棋を教えに行く時、かなり丁重に扱われる。これは、私が偉いからではなく、先生がボランティアのパフォーマンスを上げるための行動なのだ。Rの会の代表Gさんは、一流企業で貧困地域の子供たちについて調査をしておられた。日本語教師の資格もある。私のことを先生方は「世間知らず」と言っているようだが、私は静岡新聞に77回活動が掲載されている。中日新聞もかなり取り上げられているはずだ。私は世間知らずだが、あなた方には言われたくない。教員免許のない人を学校は低く見て、かなり、学校は冷遇している。誉められるためにボランティアをしているわけではないが、無理解な環境では最高のパフォーマンスは生まれない。「どうしたら問題が解決するのか?」「いい教育が生まれるにはどうすべきか?」根本に戻って仕事に当たってほしい。